18.188.40.207
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KCI 등재
다자이 오사무(太宰治)의 신랑(新郎)론 -전쟁과 성서의 의미를 중심으로-
太宰治の新郎論 -戰爭と聖書の意味を中心として-
전봉이
일본연구 33권 139-154(16pages)
UCI I410-ECN-0102-2017-830-000386859

太宰治の中期作品である新郎年について考察した。ちょうど太平洋戰爭勃發の日に書かれた作品なので, まず戰爭という時代的背景について調べえみた。太宰は戰爭への徵用のため, 身體檢査をうけるが, 不合格。つまり徵用失格で一人取り殘された彼は, 戰地の友や, その戰爭にとても勝てない日本のために勝利を願うしかなかった。日本が自ら打って出た戰爭について慘澹たる氣持を持ちつづけていた太宰は親和と肯定を目標として孤軍奮鬪することになる。芸術への志向として旺盛な創作活動を試みたのであった。つまり彼にとっての戰爭は創作活動への大きなきっかけになったといえよう。しかも作品傾向は明るい。その明るさに滿ちた作品などは戰中というイメ一ジとはふさわしくない。するとなぜそのような明るさに滿ちた作品を書くことになったかを考えてみると, それには暗い初期から逃れるために勵ましと賴りにしていたし, 特に中期に熱中であった聖書が表れていることが解った。中でも新郎は他の作品とは一向變わった雰圍氣のもので, 聖書に出てくる新郎の意味と關係づけて調べてみた。聖書での新郎はイエスをいう。新郎をとらるるという聖書のことばに着眼し, 太宰は新郎であるイエスが死を迎えていた時の心情のように, 死の覺悟で死まで生き拔こうという志を止まなかったことを窺うことができた。つまり太平洋戰爭は現實的な日本の姿ではあったが, その現實を乘り越えた彼の創作世界では正に太宰自分自身との戰爭で勝利するために, 聖書のイエスの姿であった新郎の姿が必要であったということについて考察してみた。もし太宰に聖書がなかったら彼の芸術は續かないものになってしまうかもしれない。それほど彼の芸術志向に大幅作用されているのが聖書であることは否定できないである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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